2014年10月16日 「オアフ島 バン貸し切りオリジナル観光 Part 2」


≪クイーンエマ サマーパレス≫

エマ王妃のサマーパレスは『ハーナイアカマラマ(月の養子)』としても知られています。
1800年中頃オアフ島でも涼しいヌウアヌ渓谷に、カメハメハ4世の妻クイーン・エマの為に建てられた別荘。

ギリシャ風リバイバル様式で当時流行した東部建築様式とハワイ建築様式が融和された独特の建築です。カメハメハ4世と、幼なじみでもある妻のエマ妃、4歳で亡くなってしまった愛息アルバート・エドワード王子3人の思い出の別荘です。

エマ王妃の所持品や、工芸品、王室家族の肖像画等ゆかりの品々が展示されており、王室の歴史、家族の幸せな日々の思い出が詰まっている場所です。

≪ カメハメハ4世 アレクサンダー・リホリホ  クイーン エマ  ≫

カメハメハ4世アレクサンダー・リホリホは、即位に先立って1854年にエマ・ルークと結婚。1862年には夫妻そろってイギリス国教会に入信。イオラニ・スクールなど英国国教系のミッションスクールも設立。

エマ・ルーク、のちに<クイーン・エマ>として有名になりますが、エマはカメハメハ大王の外戚筋で、ジョン・ヤングの孫にあたります。ジョン・ヤングはハワイでカメハメハ大王の重臣として仕え、ハワイ統一に大きく貢献したイギリス人です。エマ自身も親英派だったのは、彼女の血の8分の1はイギリス人だったということもあります。エマが4世と協力して1859年に完成させたクイーンズホスピタルは有名で、1967年には、「Queen’s Medical center」に改称して現在も存続しています。

カメハメハ4世とエマにはアルバート王子という息子がいましたが、1862年、わずか4歳のときに事故で亡くなっててしまいました。翌年1863年、カメハメハ4世も29歳の若さで亡くなります。
(参考文献 ハワイの神話と伝説)

 


< 寝室 >

<アルバート王子の揺り籠>ハワイ原産コア・コウ・ミロ・カマニが使われています

建物の至る所に見られるカーリヒ(羽冠)は、ハワイ固有の鳥の羽根で作られており、儀式や採点の際に「王族の象徴」として使われました。「伊万里焼の壺」は、日本の明治天皇から第7代カラカウア王への贈りものです。

<王族だけが身にまとうことを許された羽毛のケープ>

<コアの木で作られたボウル>

<アルバート王子の部屋>

アルバート王子のビロードのスーツ・赤い消防士用上着・アルバート王子の為に作られた小型族長のヘルメット(マヒオレ)

「アルバート エドワード王子」の名付け親である英国ヴィクトリア女王からの贈り物、「銀の聖餐杯」や装飾品を身に着け撮影された写真をヴィクトリア女王に送ったそうです。

非公式の場で使われた手持ちカーリヒや、ハワイ固有の鳥の羽根で作ったレイ等

英国のプリンス アルバートから贈られた、結婚祝いの<三層のロイヤルキャビネット(飾り棚)>近くでよく見ると、珍しい凸凹のガラスです。


宮殿の周りには数種類の「オヒア レフア」が植えられています。また、庭園はラウアエ(シダ科の1種)で被われています。その他にも、庭園にはハワイ自生の植物が数多く見られます。

  

Docent(エマサマーパレスガイド)のKailikeaさん・ドライバーガイドのTakashiさんと根本先生と記念撮影。

  

今回は特別に、Kailikeaさんの英語ガイドとTakashiさんの日本語ガイドのご案内で、興味深いエマ王妃ご家族の様子やハワイ王室の歴史を説明していただきありがとうございました。


2014年Hawaii旅行記