2013年5月3日 ≪イオラニ宮殿周辺散策≫

イオラニ宮殿の周辺は、ハワイの歴史にゆかりの深い建造物も多く、ブラブラと気ままにお散歩しました。

<ミッションハウスミュージアム>

1820年、布教活動のためにニューイングランドからハワイに来た宣教師のために建てられた家。
加工木材をニューイングランドのアメリカ海外伝道評議会から受け取り、この家を建てました。木造の家としてはハワイで初めてのもの。宣教師たちの住居、、印刷所、作業場等が保存されていて、当時の生活の様子がよくわかります。ミッションは「キリスト教の布教」だけでなく、文字が存在しなかった当時のハワイに印刷機を持ち込み、ハワイ語や聖書等が印刷されました。ハワイ語で使われているアルファベット12文字(aehiklmnopuwの組み合わせ)からなるハワイ語はここで生まれました。ハワイアンキルトもここから発祥したそうです。1821年から1863年サンドイッチ諸島管轄の宣教本部があった場所です。

  

ツアーのチケットはギフトショップで購入します。外観は写真撮影可能ですが、屋内は撮影禁止です。

  

  

  

 

屋内には、カメハメハ王1世の妻「カアフマヌ王妃」の部屋も展示されていました。

<カアフマヌ王妃>

カメハメハ王1世が他界した後、2世のリホリホはまだ若かったため、カアフマヌが「クヒナ ヌイ(摂政)」として政治権力を握りました。男性中心で女性にさまざまな制限があったハワイの伝統である「カプ(規則)」の廃止や「一夫一婦制」の促進をしました。1820年に宣教師の一団がハワイに来た際、カアフマヌは新しい宗派に惹かれ、1825年キリスト教に改宗しました。


<カワイアハオ教会>

1842年に建てられたオアフ島でもっとも古い教会。 地元の労働者や宣教師が、1個の重さが300kg~700kgもある巨大な珊瑚のブロックを海から運び、それを約1万4千個使用して完成しました。
敷地内には「第6代ルナリロ王」のお墓もあります。

<ハワイ王朝第6代ルナリロ王のお墓> (1834-1875)

初めて国民の選挙で選ばれることになり、1873年、「ルナリロ」がハワイ王朝第6代王となりました。国民からも大人気でハワイアンの人々からはLokomaika`iと呼ばれたそうです。「人民の王」と称されていたルナリロ王は亡くなるときも人民の中に居たいという望みから、ハワイの人々が集まる「カワイアハオ教会」の敷地内に建てられたのだそうです。2012年に訪れた時は門が閉まっていましたが、今回は中に入ることができ、よりハワイの人々の「ルナリロ王」に対する想いを感じました。

   


<アリイオラニ・ハレ (ハワイ州最高裁判所)> <カメハメハ大王像>

1874年カメハメハ5世が宮殿にしようと建てたもの。完成前に5世が他界。第6代ルナリロ王も短命に終わり、第7代カラカウア王が、「イオラニ宮殿」を建てたため、<アリイオラニ・ハレ>は宮殿としては使われませんでした。


<ホノルル・ハレ(ホノルル市庁舎)>

スペインの建築様式を取り入れたもので、1927年に建設

  


<ハワイ州立図書館>

イオラニ宮殿のすぐ東側。緑一面に広がった芝生の先に落ち着いた重厚な白い建造物

  

  


<ハワイ州政府ビル>

  


<ダミアン神父の銅像> 州政府ビルの山側に建っています。

「モロカイ島」でハンセン病患者のケアに生涯を捧げました。州政府ビルに掲げられている紋章には、ハワイのモットー『UA MAU KE EA O KA AINA I KA PONO』の文字が書かれています。


<第8代リリウオカラニ女王の銅像> (ハワイ王朝最後の女王)

州政府ビルのイオラニ宮殿側に建っています。


<ワシントンプレイス> ハワイ州政府ビルからベレタニア・ストリートを渡って山側

リリウオカラニ女王の夫、ジョン・ドミニスの父が1842年に建てた邸宅。1893年にハワイ王朝を襲ったクーデターで、リリウオカラニ女王は逮捕され イオラニ宮殿に幽閉されました。釈放された後、約25年間(1917年他界するまで)失意の思いで隠遁生活を送っていた場所です。

  


イオラニ宮殿周辺をブラブラと歩き、歴史に触れながらハワイの更なる奥深さを感じ「ダウンタウン」をあとにしました。ワイキキ方面へ「The Bus」に乗り、途中<ワードセンター前>で下車し、ショッピングを楽しみました。


2013年Hawaii旅行記