2013年5月3日 <イオラニ宮殿>

1882年ハワイ王国第7代デイビッド・カラカウア王『陽気な国王(メリー・モナーク)の愛称で親しまれた王』が築いた宮殿。ここで王朝政治が行われ、1893年に第8代リリウオカラニ女王が退位させられるまで暮らしたとされる王族の公邸。カラカウア王は外国との交流にも力を入れていたので、世界各国の最新技術を取り入れ、当時バッキンガム宮殿やホワイトハウスにも無かった電気設備もあり、電話・浴室・水洗トイレ・エレベーターなども完備されていました。アメリカ合衆国に存在している唯一の宮殿。

2012年9月から館内の写真撮影が可能になりましたが、フラッシュ撮影、動画撮影はできません。ペンを使ってメモをとることも禁止です。(インク等が飛び散らないようにするため)

チケット売り場は敷地内の旧宮殿兵舎(イオラニ・バラックス)です。

   

   

1883年にカラカウア王とカピオラニ王妃の戴冠式のために建てられた< 戴冠式台>

(前庭にあります)

宮殿内には裏側の玄関から入ります。入口の天井中央には王室の紋章が刻まれており、ハワイのモットー『UA MAU KE EA O KA AINA I KA PONO』の文字が書かれています。カメハメハ3世が残した「大地の命は正義の中で永続する」という意味。ハワイ王室関係の場所には、この言葉が刻まれた紋章が飾られています。


<1階><グランドホール>

階段は美しい「コア」の木が使用されています。裏玄関のすりガラスは、アジアのデザインが描かれています。グランドホールの壁には、代々の王や女王の<肖像画>や世界各国から贈られた<美術品>が飾られています。

  

  

グランドホールの階段に向かい左側が、<青の間>と<食堂(正餐室)>です。気品ある青色のカーテンと椅子で落ち着いた部屋です、来賓のお客様を迎え入れたお部屋です。「青の間」のすぐ脇に広がり青色と対照的なワインレッド色のカーテンと椅子です。晩餐会が開かれました。グランドホールと食堂の間には、地下の厨房から料理を運ぶ配膳用の<エレベーター>もありました。


<王座の間>グランドホール階段に向かって右側には、舞踏会等が開かれた<王座の間>があります。

階段は使用禁止になっているので、青の間と正餐室の脇に設置されている
エレベーターで2階に上がります。


<2階><カラカウア王の寝室>

水洗トイレと浴室・シャワー設備がありました。

  

<カラカウア王の執務室>

   

ホノルルで最古の電話です。


<黄金の間(音楽室)>演奏や曲作りをして楽しんだそうです。数多くの名曲がこの部屋から生まれました。「Aloha‘Oe」や「Liliuokalani Prayer」等の譜面も置いてありました。

  

イオラニ宮殿内2階から見えた<宮殿正面側>です

<カラカウア王の妻 カピオラニ王妃の寝室>

  


<第8代リリウオカラニ女王 幽閉の間>

リリウオカラニ (第7代カラカウア王の妹)ハワイ王朝最後の女王
1891年カラカウア王が渡米先のサンフランシスコで客死後、リリウオカラニが女王として即位。
共和制派との対決姿勢を強め、1892年ハワイ人らの新憲法制定の請願を受け、1893年1月14日国王権限を強化する憲法草案を閣議に提出したが否決。

1月16日<王政派>と<共和制派>が共に2大集会を開く中、危機感を募らせた共和制派は、米国のスティーブンス公使の要請によりアメリカ海兵隊がイオラニ宮殿を包囲、翌17日には共和制派が政庁舎を占拠し、ハワイ王政廃止と臨時政府樹立を宣言した(ハワイ革命)。ハワイにとって激動の4日間となりました。

アメリカ政府は、この「革命」が不法なものであると認め、スティーブンス公使を更迭すると共に調査団を派遣したが、臨時政府はこれを内政干渉とした。これに対し1894年2月の調査団が<共和制派>を支持する報告書をまとめた。(アメリカ大統領交代等の政権によりハワイ王国へ考え方の違いがあり、アメリカ政府の対応の変化にもハワイ王国は翻弄されていた。)

ハワイ王国を守るためハワイ人による反対集会が繰り返される中、1894年7月4日、臨時政府はサンフォード・ドールが大統領となり<ハワイ共和国>の独立宣言を行なった。翌1895年<ハワイ王政>派が反乱を起こすが、数日の銃撃戦の後に新政府軍に鎮圧された。1月16日リリウオカラニは反乱の首謀者の容疑で逮捕され、イオラニ宮殿に幽閉された。1月22日、反乱で捕らえられた約200人の命と引き換えに、リリウオカラニは女王廃位の署名を強制され、ハワイ王国は滅亡した。リリウオカラニは2月27日、反乱に加担した罪で5,000ドルの罰金と5年間の重労働の判決を受けたが、9月6日に釈放された。<参考文献 ハワイ王朝最後の女王 他>

幽閉の間は、リリウオカラニ女王が8ヶ月間に渡り監禁生活を強いられた場所です。外からの情報は全て閉ざされ、ドアの外で歩き回る監視人の足音が毎日繰り返され辛い日々を送ったそうです。

  

ペンと紙だけ与えられ、歌を書き心の内をペンに込めたと言われています。代表作でもある「Aloha‘Oe」もこの部屋で書かれました。深い悲しみや寂しさ等の思いを込め、布の端切れを縫い合わせたハワイアンキルトです。

  


イオラニ宮殿地下室には、王室の人々の日常の写真、勲章や王冠、宝石、厨房などが展示されています。イオラニ宮殿のショップもあります。


毎週金曜日12~13時 イオラニ宮殿内で開催されている<フライデーコンサート>

【ロイヤルハワイアンバンド】1836年にカメハメハ3世によって創設されたハワイ王国専属の音楽バンド

♪~ Kawohikukapulani 川の流れのように  MakahaSonsメドレー(Hawaii 78 White Sandy Beach Ulili E Over the Rainbow etc・・・)ENDINGは、全員総立ちで、お客さんも一緒に「Aloha ‘Oe」を大合唱しました。

<ヴォーカル Keaweさんと一緒に>2012年11月のフライデーコンサートの時は、宮殿裏側の木陰でしたが、今回は「戴冠式台」脇で演奏していました。2012年11月Hawii旅行記イオラニ宮殿
イオラニ宮殿には何度も足を運んでいますが、来るたびに「ハワイ」激動の歴史を感じる特別な場所ですね。

ハワイ王朝時代にタイムスリップし、ハワイの風を感じながらロイヤルハワイアンバンドによる演奏を聞きハワイへの想いを心に「ALOHA」な心地よいひとときを過ごしました。


2013年Hawaii旅行記